※サムネはイメージです
2025年7月9日の朝、SNSに一本の投稿が流れました。
発信者は、いろいろと注目を集めている山尾しおり氏。
今回は、選挙戦真っ只中の東京で、小学5年生の少年が「女性天皇と選択的夫婦別姓」と即答したというエピソードを披露しました。
ところが、この“美談”に飛びついたのは共感ではなく、むしろ違和感を抱いた人々でした。
「小5がそんな即答するか?」
「この暑さで長袖ネルシャツは不自然すぎる」
「そもそも目線が合ってない」
投稿からわずか数時間で、SNSはまるで“集団ファクトチェック大会”の様相を呈し、次々と「やらせでは?」との疑いが飛び交う事態に。
ネットで語られるストーリーが、もはや無条件で受け入れられない時代に。
この騒動は、私たちが「政治家の語る物語」にどれほど冷めた目を向けているかを象徴していました。
この記事では、山尾しおり氏の投稿がここまで強烈な反応を招いた理由と、その背後にある社会の空気について考察していきます。
※この記事はSNS情報を中心に書かれていますが、意見や感じ方は人それぞれです。推測の域を出ず、異なる意見や見解があることも理解しておりますので、どうかご了承ください。本記事を通じて、少しでも多くの方に伝えられれば幸いです。
山尾しおり氏の投稿に吹き荒れたツッコミと疑念の嵐
はじめに:ネットの空気が変わった
2025年7月9日朝。山尾しおり氏(無所属・参院選東京選挙区)が投稿したXの一言が、大きな波紋を呼びました。
「三鷹駅。小5男子がわざわざ来てくれました!『政治家になにをやってほしいですか?』と聞いたら『女性天皇と選択的夫婦別姓』と即答。やるよ!」
https://x.com/ShioriYamao/status/1942732404214620267
一見すると、政治に関心を持った若い世代の希望に寄り添う温かいエピソード。
しかし、投稿からわずか数分で「これはやり過ぎ」「小5が即答する内容じゃない」との疑念が噴出し、SNSは“ツッコミ大会”と化しました。
ネット民はなぜここまで反応したのか――。
その背景には、「政治家の物語構築型発信」への不信感と、「リアリティなき演出」への冷笑がありました。
✅ 投稿は瞬時に拡散され「やらせ」「台本感」「無理がある」といった声が続出
✅ SNS上では服装・構図・言葉選びへの細かい指摘が次々と挙がった
✅ 「もうそういう演出は見破られる時代」との冷めた空気も支配していた
背景:山尾氏と「ストーリー型政治」
山尾氏といえば、「保育園落ちた日本死ね」ブログの国会取り上げをきっかけに一躍脚光を浴びた人物です。
そして今回も、選挙前というタイミングで「政治に関心を持つ小学生」との象徴的なやり取りを提示し、「女性天皇」「選択的夫婦別姓」という争点を一気に打ち出しました。
しかしそれがかえって裏目に。
「それ、まるで脚本じゃないか?」「本人の主張を小5に代弁させてるだけでは?」という冷笑と懐疑が渦巻いたのです。
SNS上ではこうした声が目立ちました。
- 「この暑さで長袖ネルシャツの小5って不自然すぎる」
- 「“即答”ってとこがもう無理筋」
- 「うちの子(同世代)に聞いても“税金安くして”が関の山」
かつては感動的エピソードとして共感を呼んだストーリー手法が、いまや“疑われる時代”に突入しているのです。
✅ 山尾氏は過去にも「劇的な政治物語」で注目を集めてきた
✅ しかし今回の投稿は、むしろ“予定調和的すぎる”として冷ややかな視線に晒された
「演出臭がすごい」—X民の細かすぎるツッコミ
投稿に添えられた写真は、いかにも「しゃがんで子供に話しかける構図」
しかしSNS上では、逆にこの写真が「不自然さ」を助長してしまいました。
- 「小学生なのに目線が合ってない」「構図が“アピール用”過ぎる」
- 「ネルシャツが季節外れ。昨日は32℃だったぞ」
- 「ズボンがシワだらけで、どう見てもおじさんが変装してるようにしか…」
中には「新手のショタビデオ?」と揶揄する声すらあり、画像そのものへの疑いが強くなっていきました。
また、「女性天皇と夫婦別姓」を“小5が”選んだという設定自体への批判も強く、
- 「周囲の誰かに言わされてるのでは?」
- 「台本通りに読ませただけでしょ」
- 「そんな言葉、即答で出てこないよ」
という反応が溢れました。
✅ 投稿画像の構図や衣装、演出性が疑惑をかえって助長
✅ 「子供を使った政治アピールでは?」との倫理的疑問も噴出
過去の“子供を使った政治アピール”の記憶
「子供にこんなことを言わせるのはどうか」との声が出たのは、今回が初めてではありません。
ネット上では過去の事例がすぐさま引用されました。
- 「保育園落ちた日本死ね」
- 「小4が作った政治サイト」
- 「不登校の中学生がSNSで意見表明」
これらは当初、感動的な“市民の声”として受け入れられましたが、のちに「本当に本人の声か?」「周囲の大人の政治利用では?」と疑われた経緯があります。
今回の山尾氏の投稿も、まさに「その系譜」に重ねられてしまったのです。
また、山尾氏自身の過去のスキャンダル(不倫報道や“ダブル不倫”とも揶揄された件)を持ち出し、
「その子の母親の気持ちは考えたのか?」
「政治利用にすぎないなら、あまりにも無神経」
と感情的に批判する声も見受けられました。
✅ 「感動物語」は、疑われる時代に
✅ 本人の過去のスキャンダルとの文脈も再び蒸し返される
小5は本当にそう言ったのか?―信じる人と信じない人の断絶
もちろん一部では、「小学生でもそう考える子はいる」と擁護する声もありました。
「うちの子も女性天皇の話をしたとき、納得できないと憤っていた」
「今の子はSNSも情報も早い。違和感はない」
ただし、こうした声は少数派にとどまり、全体としては「リアリティに欠ける」「不自然さが拭えない」という疑念が支配的でした。
投稿の意図が「共感を得るための演出」であるかのように見えてしまった時点で、多くの人々の“共感スイッチ”はオフになってしまったのです。
✅ 一部には「小学生でも意識が高い子はいる」との擁護も
✅ しかし今回は、そうした声を上回る“冷笑”が支配的だった
子供を使うリスクと「信頼」の問題
結局、この騒動がここまで燃えた最大の理由は「政治的信頼」の問題にあります。
—政治家が言う“良い話”を、私たちは無条件には信じなくなった。
—特に、それが“子供の声”を借りた美談であるなら、なおさらだ。
子供という存在は、政治家にとって非常に便利な“正しさの象徴”でもあります。だからこそ、過去から現在に至るまで、たびたび“利用”されてきた。
しかし、現代の有権者、とりわけSNS民の目はそれを許しません。
「都合のいいストーリーに子供を乗せるのはやめろ」
「本当にその子の言葉なら、なぜ動画ではなく、都合の良い文章だけなのか」
このような声が拡がったことは、政治家と市民の“距離の深さ”を物語っています。
✅ 子供の声を使うストーリーテリングは、今やリスクを伴う
✅ 信頼なき政治家がそれをやると、逆効果になる
おわりに:ストーリーより「信頼」を
山尾しおり氏の投稿が、かつての「感動を誘う物語型政治」から、いまや「信頼を損なう演出」へと転落してしまったのは、時代の変化に対する鈍感さでもあります。
有権者が求めているのは、たった一人の小5との劇的な出会いではなく、実直な説明と、実効性ある政治姿勢なのです。
演出ではなく、リアル。
物語ではなく、事実。
それこそが、いまの時代の「選ばれる政治家」に求められていることなのではないでしょうか。
✅ 選挙において「共感される物語」を紡ぐのは難しくなった
✅ 有権者が求めているのは“等身大”の信頼と説明責任