飲み会で一杯目にウーロン茶を頼んだら、なぜか空気が悪くなった──
そんな経験、ありませんか?
「乾杯はビールでしょ」と無言の圧をかけられたり、「水でいいじゃん」と言われたり。お酒を飲まないというだけで、どうしてこんなにも肩身が狭い思いをしなければならないのでしょうか。
実際に、テレビ番組でタレントのくわばたりえさんが「ウーロン茶はもったいない」と発言し、SNS上では「アルハラでは?」「選ぶ自由すらないの?」と大きな議論を呼びました。
一杯目の乾杯、ウーロン茶じゃだめなんですか?
この記事では、「なぜ飲み会でウーロン茶がNG視されるのか」という謎を通じて、日本に根強く残る飲み会文化の“暗黙ルール”と、それに対する違和感を掘り下げていきます。
✅ なぜ一杯目にウーロン茶だと文句を言われるのか
✅ 飲み放題・割り勘制度が飲めない人にとって不利な理由
✅ 飲めない側の選択を“空気が読めない”とされる理不尽さ
✅ 現代に合った“配慮ある飲み会”とは何か
※この記事はSNS情報を中心に書かれていますが、意見や感じ方は人それぞれです。推測の域を出ず、異なる意見や見解があることも理解しておりますので、どうかご了承ください。本記事を通じて、少しでも多くの方に伝えられれば幸いです。
ウーロン茶はなぜ文句を言われる?一杯目の「空気」と圧力

飲み会の冒頭で、グラスを掲げて「乾杯!」と声を合わせる──
そんな場面で、ウーロン茶のグラスを手にしていると、なぜか一瞬、視線が集まることがあります。中には「えっ?お茶なの?」「ビールじゃないんだ」と口にする人もいます。
会社の飲み会が憂鬱すぎる。今まで顔出してたのに急に行かないのも変だし、ウーロン茶飲んでたらなんで酒飲まないの?って聞かれるし。もともとビール飲んでただけに疑問なのはわかるけど、めんどくさい。
https://x.com/peach_cream89/status/1926211533970813297
これは偶然ではなく、日本の飲み会文化に根深く染みついた「空気」の圧力にほかなりません。
この“最初の一杯はビール”という暗黙のルールは、昭和・平成時代を通して築かれてきた会社文化の残骸だと考えられます。皆が同じタイミングで、同じ飲み物で乾杯し、飲み始めるという一体感が「礼儀」や「社交」とされてきたのです。
しかし、その習慣に馴染めない人──
特にお酒を飲めない人にとっては、強烈なプレッシャーになりがちです。
私自身も、飲めない体質であることを理解してくれていたはずの先輩から「一杯目だけビールにして、後からウーロン茶に変えればいいじゃん」と言われたことがあります。
これは遠回しの“同調圧力”です。
実際のところ、「お酒を飲めない」というのは嗜好ではなく体質や健康上の事情である場合が多く、軽く扱われること自体が配慮に欠けています。それにも関わらず、「一杯目くらい合わせろ」と強要されるのは、今の時代にはそぐわない感覚でしょう。
そして、なぜウーロン茶が特に標的にされやすいのか。
それは見た目の「地味さ」によるものかもしれません。ジンジャーエールやカクテルなら“飲み会っぽい”ということで受け入れられやすいのに、ウーロン茶だけが“気が利かない”“飲む気がない”といったレッテルを貼られるのです。
つまり、ウーロン茶は飲み物である前に、“その場の空気”に抗う象徴になってしまっているのかもしれません。
✅ 「乾杯はビールでしょ」は同調圧力の象徴
✅ ウーロン茶が選ばれることで“場の一体感”が崩れると感じる人も
✅ 体質や事情への理解が足りないまま、「ノリ」が優先される傾向がある
飲み放題・割り勘の闇と、“飲めない人”の損失

飲み会における「飲み放題」や「割り勘」制度は、一見すると平等で便利なシステムに見えます。実際、幹事の立場からすれば料金が明確になり、会計トラブルを避けられるというメリットがあります。しかし、その裏側には“飲めない人”にとって無視できない不公平さが潜んでいます。
私が以前参加した送別会では、飲み放題プランが自動的に全員に適用されました。お酒が飲めない私はウーロン茶と水しか頼まなかったのに、周囲と同じく3,500円の料金を支払いました。その場では何も言いませんでしたが、心の中では「これって損してるよな」と感じていました。
しかも、飲み放題を選んだ理由を尋ねると、「全員一律じゃないと注文管理が大変だから」と幹事が答えていました。飲食店の都合もあるでしょうが、それは“飲まない人”の意見や体質を犠牲にした運用でもあるのです。
さらに、「割り勘なんだから、ウーロン茶は頼まないで」と言われた知人の話も耳にしました。これは「ウーロン茶=得をしている」という一方的な見方に基づいています。しかし、実際には飲まない側も、雰囲気を壊さないためにお茶を多めに頼んだり、早めに料理を勧めたりして気を遣っている場合が少なくありません。
「飲めない人は得をしている」と考えるのは早計です。むしろ、精神的な気疲れや飲み放題費用の持ち出しなど、“見えないコスト”を払っているのは、そちらかもしれません。
✅ 飲み放題制度は一律に適用されがちで、飲まない人に不利な仕組み
✅ 割り勘でも、飲まない人が「得してる」と決めつけられる風潮がある
✅ ウーロン茶を選ぶ行為が、配慮や遠慮の表れであることも多い
ウーロン茶で空気が悪くなる…のは誰のせい?
これはさすがに酒を飲めない人に対してキツい発言。「烏龍茶飲むぐらいなら水飲め」って、水道水より烏龍茶の方がウマいだろうよ。酒飲まない人を少し安くしてやれよ→くわばたりえ 割り勘の飲み会でモヤモヤ「みんな飲んでる中でウーロン茶…ちょっと嫌」持論にスタジオ驚き
https://x.com/unkotaberuno/status/1926883918520680802
「ウーロン茶で乾杯したら、なんか気まずくなった」
そんな話を何度も耳にしてきました。ですが、本当に空気を悪くしているのは“お茶を選んだ人”なのでしょうか?
私が印象に残っているのは、ある職場の懇親会での出来事でした。お酒が飲めない後輩が一杯目にウーロン茶を頼んだところ、上司が「なんで水じゃないんだ?」と、笑いながらも明らかに不快そうな顔をしたのです。場が少し静まり、後輩は「すみません」と頭を下げていました。
…でも、その“すみません”は必要だったのでしょうか。
ウーロン茶を選ぶ人の多くは、自分の体調や事情、そして場の空気まで考えて飲み物を選んでいます。むしろ、甘いジュースを避けたり、見た目の印象を考えたりと、できる限りの配慮をしているケースも少なくありません。それにもかかわらず、「なんでウーロン茶?」と非難されるのは、明らかに一方的な価値観の押し付けです。
1部の酒飲みって何やっても許されると思ってますからね… 身体が受け付けない人とか関係ないんですよ。 これが立ち位置逆になった事も考えつかないのかと…烏龍茶軍団の中1人酒飲んでるの見ると不愉快と言われたら酒は楽しいから何が悪いんだ!って始まるのでしょ? 飲み会は酒飲みだけの物ではないわ
https://x.com/nenbutuno_tetu/status/1927448939399106940
問題なのは、“お茶で乾杯されたことで、自分の価値観が否定されたように感じてしまう人たち”の反応です。そしてその違和感を、相手のせいにしてしまう。これこそが、空気を悪くする本当の原因ではないでしょうか。
現代の飲み会は、もはや上下関係や「ノリ」だけで回していけるものではありません。多様な事情を持つ人たちが集まる以上、「何を飲むか」で人を測るような時代錯誤な感覚は、手放すべきなのです。
✅ ウーロン茶を選んだ人の“配慮”が否定されている現実
✅ 空気が悪くなるのは、価値観を押し付ける側に原因がある
✅ 現代の飲み会では、柔軟さと相互理解が求められる
さいごに:楽しい飲み会に必要なのは、何を飲むかより“どう向き合うか”
「乾杯のときはビールでしょ」
「水でいいじゃん、お茶なんてもったいない」
「飲めないなら空気を読むべきだ」
こうした言葉を何度となく聞いてきました。でも、本当にそれが“楽しい飲み会”の在り方なのでしょうか?
お酒を飲まない人が、場の空気を壊す存在として扱われる──そんな構図はもう終わりにしませんか。飲み会は、誰が何を飲んでいるかではなく、そこに集まった人がどう過ごすかにこそ価値があるはずです。
ウーロン茶を選んだことで白い目で見られた。乾杯の瞬間、他人の視線が気になってグラスを隠した。その経験が積み重なることで、人は飲み会そのものを避けるようになります。そしてそれは、結果的に“飲み会文化”自体が縮小していく原因にもなるのです。
現代では、“スマートドリンキング”という言葉も聞かれるようになりました。お酒を飲む人、飲まない人、そのどちらもが尊重される飲み会。それが、本当に健全で持続可能な集まりなのだと思います。
「乾杯でウーロン茶を持つこと」が問題なのではありません。それを問題視するような価値観を、少しずつでも手放していけたら。そんな願いを込めて、この記事を書きました。
✅ 飲み会に必要なのは“空気を読むこと”ではなく“思いやり”
✅ 飲まない人が疎外される風潮こそが、飲み会文化の衰退を招く
✅ 誰もが自由に選べる一杯こそが、真の乾杯を生む
参照記事:Yahoo!news