炭酸コーヒーはなぜ「まずい」と言われ続けているのに、毎年のように新作が発売されるのでしょうか。
冷たい炭酸の刺激と、香ばしくほろ苦いコーヒー。
その組み合わせは一見ユニークで斬新なアイデアに思えます。しかし実際は、2006年から20年にわたり、ネスカフェ、サントリー、コカ・コーラ、伊藤園といった名だたるメーカーがこの“禁断の飲み物”に挑み、そして多くの人々に「まずい」と酷評されてきた歴史があります。
それでも2025年、伊藤園の「FIZZPRESSO」が新たに登場。
SNSでは「またかよ」といった困惑や笑いが渦巻き、懐かしさと不思議な期待感に包まれる空気もあります。今回は、そんな炭酸コーヒーがなぜ繰り返し商品化されるのかを追いながら、世間のリアルな声、そしてメーカー側の思惑に迫ります。
この記事でわかること:
- 炭酸コーヒーはなぜ「まずい」と感じられるのか
- 歴代の炭酸コーヒーと失敗の系譜
- なぜ毎年のように新商品が出続けるのか
- ネタとして楽しむ文化的な側面とは?
- 一部で好評の“手作りコーヒーソーダ”とは?
※この記事はSNS情報を中心に書かれていますが、意見や感じ方は人それぞれです。推測の域を出ず、異なる意見や見解があることも理解しておりますので、どうかご了承ください。本記事を通じて、少しでも多くの方に伝えられれば幸いです。
炭酸コーヒーの歴史:なぜここまで続いてきたのか
炭酸コーヒーは、ある意味で“日本飲料史における最大級の黒歴史”として語られることが多い存在です。
その始まりは2006年、ネスレ日本が発売した「ネスカフェ スパークリング・カフェ」にまでさかのぼります。炭酸とコーヒーという、本来交わることのなかった二つの要素が融合したこの飲料は、当時「度肝を抜かれた」と多くの人々に衝撃を与えました。もちろん、その衝撃の多くは味に対するもので、「なぜこんな味にしたのか」といった困惑が相次いだのです。
しかし、これがすべての始まりでした。
その後も2012年のサントリー「エスプレッソーダ」、2013年の「BOSS ブラックスパークリング」、2017年の「Coca-Cola Coffee Plus」と、名だたる大手企業が炭酸コーヒーの可能性に挑み続けます。さらに2019年の「ワンダ CONIC」、2023年には伊藤園が「TULLY’S BLACK & SODA GASSATA」を投入。そして2025年には再び伊藤園が、「TULLY’S FIZZPRESSO – LIME TON & BITTER BLACK」で再挑戦を試みました。
毎年のように炭酸コーヒーが登場するたびに、“またこれか”と戸惑う声が絶えません
発売年/月 | 商品名 | メーカー |
---|---|---|
2006年5月 | ネスカフェ スパークリング・カフェ | ネスレ日本 |
2012年7月 | エスプレッソーダ | サントリー |
2013年6月 | BOSS ブラックスパークリング | サントリー |
2017年9月 | Coca-Cola Coffee Plus | コカ・コーラE |
2018年8月 | BOSS トニック | サントリー |
2019年6月 | ワンダ CONIC | アサヒ飲料 |
2023年5月 | TULLY’S BLACK & SODA GASSATA | 伊藤園 |
2025年5月 | TULLY’S FIZZPRESSO – LIME TON & BITTER BLACK | 伊藤園 |
※ 毎年のように登場する“新作”だが、ヒット作と呼ばれるものはいまだ現れていない。
興味深いのは、そのどれもが「まずい」と酷評されながら、一定の話題性を持って受け入れられている点です。
いずれの製品も、コンビニやスーパーの定番商品に成長することはありませんでしたが、「一度は飲んでみたくなる奇妙な魅力」を持ち合わせていたことは間違いありません。SNS時代の今となっては、その“奇妙さ”が話題性を生み、わざわざ購入して写真や感想を投稿するという行動すら促すのです。
つまり、炭酸コーヒーは「味が評価されない」ことを前提にしたマーケティング戦略の一環であり、「まずさすら武器になる」という特殊なジャンルへと昇華していったと言えるでしょう。歴史を振り返るほどに、「なぜ失敗が続くのか」ではなく、「なぜ繰り返すのか」が焦点になるのです。
✅ ネスレを皮切りに20年続く“失敗の系譜”
✅ どの製品も「ネタになる」「一度は飲みたい」と話題にはなる
✅ 味の評価は毎回芳しくないが、存在意義は別のところにある
世間の反応──「なぜ出すの?」と突っ込みたくなる“恒例行事”
炭酸コーヒーが発売されるたび、SNSでは恒例のように「なんでまた出すの?」という声が飛び交います。中でもX(旧Twitter)では、味へのツッコミがまるで“芸”のようになっており、まさに飲料界のネタ枠です。
たとえば、こんな感想が並びます。
- 「コーヒーとジュースの飲み残しを混ぜたような風味で、思わず顔をしかめてしまった」
- 「豆特有の香りが炭酸の刺激とぶつかり、発酵臭のようなクセを強く感じる」
- 「2口目で捨てた。なんで毎年飲んじゃうんだろう」
もはやレビューというより、“体験談”という言葉がふさわしいくらい、みんな表現が豊かです。
ただ、すべてが否定的なわけではありません。こんな声も少しだけあります。
- 「友人との話題にしやすく、印象に残る飲み物としての側面もある」
- 「きんきんに冷やせば意外と飲める」
- 「怖いもの見たさで買ったけど、まあ…予想通りだった」
このように、味への評価はかなり厳しいものの、「ネタとして一回は飲んでみたい」という心理を刺激していることは間違いありません。
しかも、「春の新商品」「限定」「自販機専用」といった“つい買ってしまう仕掛け”も相まって、結局また誰かが飲み、その様子がSNSに投稿される――そんなサイクルが毎年繰り返されているのです。
✅ 「また出たのかよ」と毎年恒例の突っ込みがSNSにあふれる
✅ 味よりも“体験談”としてバズる傾向が強い
✅ 「話のネタ」「冷やせばワンチャン」で購入者が絶えない
なぜ「まずい」と感じられてしまうのか?──味覚のズレと生理的な拒否反応
炭酸コーヒーを初めて口にしたとき、違和感を覚える人は少なくありません。その“まずさ”の正体は、単なる好みの問題にとどまらず、人間の感覚的な反応に深く根ざしていると考えられます。
まず、コーヒーに含まれる“焙煎豆の香ばしさ”や“苦味”は、基本的に温かい飲料として楽しむことを前提に設計されています。そこに炭酸の清涼感や酸味が加わることで、豆特有の発酵臭や酸味が強調されてしまい、「納豆のような風味」「ゴミ箱に突っ込まれた感覚」といった、生理的嫌悪に近い印象を抱かれることがあるのです。
加えて、最近の炭酸コーヒーにはフルーツ系のフレーバーが使われることも多く、「加糖」「柑橘」「苦味」「微炭酸」といった要素が一缶に共存する結果、それぞれが自己主張を始めてしまう状態になります。SNSでは「口の中で大ゲンカしてる味」という表現が散見され、味覚の調和を欠いた印象が強く残ってしまっているようです。
もちろん、全否定されているわけではありません。「きんきんに冷やせば飲める」「意外とクセになる」といった声も一定数あり、“極限まで冷やす”ことで味がまとまって感じられるという意見もあります。ただし、これは裏を返せば「常温やぬるくなると飲めたものではない」という評価でもあり、完成度としては疑問が残るところです。
このように、“まずい”と感じる理由には、味覚の衝突や生理的嫌悪反応、そして期待値とのズレなど、複数の要因が複雑に絡み合っています。もしかすると、“炭酸”という要素が、コーヒー本来の魅力を打ち消してしまっているのかもしれません。
✅ 豆の発酵臭や酸味が炭酸で際立ち「生理的にムリ」となるケースも
✅ 味の方向性がバラバラで「まとまりのない一杯」に
✅ 「冷やせばギリギリ飲める」という擁護は逆に致命的な弱点
それでも炭酸コーヒーが出続ける理由──話題性とマーケ戦略
ここまで「まずい」と酷評され続けてきた炭酸コーヒー。それにもかかわらず、なぜ毎年のように新商品が登場するのでしょうか?その裏には、実は緻密なマーケティング上の戦略が隠されている可能性があります。
まず注目すべきは、炭酸コーヒーが毎回「春」に登場している点です。新生活が始まり、消費者の購買意欲が高まるこの季節は、飲料業界にとっては“新製品を出す絶好のタイミング”でもあります。各社がこぞって新しい飲み物をリリースする中で、目立たせるためには奇抜さが必要です。炭酸とコーヒーという異色の組み合わせは、その条件にぴったりなのです。
さらに、現代ではSNSが商品の命運を握ると言っても過言ではありません。「炭酸コーヒー」というジャンルは、味の賛否以上に“ネタになる”という強みがあります。実際、「また変なの出てる」「これはやばい味だった」などの投稿が拡散され、バズった時点で認知度は一気に上昇します。メーカーにとってみれば、「まずい」と言われても話題になれば十分勝算があるのです。
また、飲料業界では「クラフトコーラ」や「コンブチャ」など、複雑で酸味のあるフレーバー系ドリンクが再評価されつつあり、その潮流の中で“炭酸コーヒー”も実験的に試されていると見ることができます。つまり、メーカーは「本当に美味しい炭酸コーヒーがいつか完成するかもしれない」という“未踏の領域”に、あえて挑戦し続けているのです。
その意味では、炭酸コーヒーは「常に打席に立たされる代打」なのかもしれません。結果的に空振りになると分かっていても、誰かの記憶に残り、SNSに投下され、“一本の話題”になるなら、それはそれで十分に「価値がある」のです。
✅ 春の新商品枠で“目立てる”という戦略的な利点
✅ SNSでバズれば“まずい”が逆に拡散力に
✅ 「味より話題性」が勝る時代の飲料ビジネスモデル
ほんの少しの光明──一部に存在する愛好者と“可能性”
炭酸コーヒーが“まずい飲み物”として語られることが多い一方で、すべての人が否定しているわけではありません。じつは、ほんの一握りながら、炭酸コーヒーに魅了されている層が確かに存在しているのです。
SNSでは、「市販の缶タイプは苦手だけど、自分で作ったコーヒーソーダは美味しい」と語る人たちが散見されます。たとえば、無糖のカフェベースに炭酸水を加え、ポッカレモンやライム果汁を数滴垂らすと、爽やかな酸味とコーヒーの深みが融合した“クラフト感”のある一杯に仕上がるといいます。自宅で試してみた人からは「意外にアリだった」という声も多く、缶入り飲料とは違う“フレッシュさ”が好評の理由と考えられます。
また、上島珈琲店などの一部のカフェでは、炭酸コーヒーに近い「コーヒーソーダ」メニューがレギュラーとして提供されており、「お店のは美味しかった」という評価が確実に存在します。店内で提供されるドリンクは、注文後に炭酸を注ぐため、泡立ちや温度、香りの立ち方が格段に違い、品質のバラツキも少ないのが利点です。
ここから見えてくるのは、「炭酸コーヒー」というジャンルそのものが悪いわけではなく、缶飲料というパッケージの中で成立させることが難しいという現実です。特に時間の経過による風味の変化、炭酸の抜け、香料の強さなどが複合的に絡み、「まずい」と感じさせる要因になっていると推測されます。
つまり、環境と素材を選べば、“炭酸コーヒーは美味しくなる余地がある”ということです。いまはまだ“変わり種のネタ”として扱われていますが、いずれ技術が進めば「これはアリ!」と思わせる商品が登場するかもしれません。
✅ 自宅で作るコーヒーソーダは意外に好評
✅ カフェでは“その場で作る”から美味しく感じられる
✅ 缶飲料の限界が“まずさ”を生んでいる可能性
さいごに:ネタか、文化か──炭酸コーヒーの存在意義とは?
炭酸コーヒーは、味覚的には「まずい」と言われることがほとんどです。にもかかわらず、20年近くも繰り返し挑戦され、そのたびに話題となり、SNSでネタにされ、そして誰かがまた買ってしまう──そんな不思議な“文化”になりつつあります。
多くの人が最初に抱くのは、「これは本当に飲み物なのか?」という疑念です。けれどその疑念こそが、手に取る理由になっています。「また出たのか」「どれほどまずいのか試したい」そう思わせる時点で、すでに商品の“成功条件”はクリアしているとも言えます。つまり、炭酸コーヒーの本質は“味”ではなく、“体験”なのです。
「2口飲んで捨てたけど、あれはあれで面白かった」「吐きそうになったけど、友達に話したら爆笑された」そんな記憶に残る体験を提供することも、今の飲料業界では重要な価値のひとつです。単に美味しいだけでは忘れられてしまう時代において、“語れる飲み物”であることは、唯一無二の強みといえるでしょう。
また、いつか“本当に美味しい炭酸コーヒー”が誕生するかもしれないという期待も、挑戦を後押ししています。2025年の「FIZZPRESSO」も、そのひとつの試みであり、失敗を恐れず続けるメーカーの姿勢は、むしろ称賛されるべきなのかもしれません。
そして今日もまた、自販機の前で誰かが、怪訝そうな顔をしながら炭酸コーヒーを買い、「うわっ…」と口をゆがめつつ、それをSNSに投稿しているのです。まずいからこそ話題になる。まずいからこそ記憶に残る。そんな逆説的な存在が、炭酸コーヒーの正体なのかもしれません。
✅ 炭酸コーヒーは“語れる体験”を売っている
✅ 味の評価以上に、記憶と話題性に価値がある
✅ メーカーの挑戦は「文化の継承」かもしれない
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