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『風呂キャンセル界隈』という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
一見意味不明なこのワードが先日、SNSで話題となりトレンドワードとして急上昇しました
結論、
風呂に入ろうとして、『やっぱや〜めた!』
という意味だそうですが、そのポストを発端として物議を醸したようです
どうやら、
きたね〜風呂くらい入れよww
という単純な話ではなく
風呂に入ることが面倒・・・というよりは、
精神身体的に疲れているから”入れない”界隈
という意味に落ち着いて行った印象です
仕事つかれた😫
これから風呂に入って、洗濯して、残りの資料作って、ご飯食べて、、、
もうこんな時間か・・・
今日は失敗して上司にも叱られるし辛かったな
いまだに会社にも馴染めないし__
もう何もしたくなくなってきた・・・とりあえず寝るか・・
※上記は新入社員時代、筆者の毎日23時くらいの様子です
本記事では注目を集めた『風呂キャンセル』について、SNSでの反応を追いつつ、まとめていきたいと思います
”風呂キャンセル界隈”発生のあらすじ
SNS上で「風呂キャンセル界隈」という言葉が拡散し、一時的にツイッターでトレンド入り
この現象のきっかけは、お風呂が嫌で入りたくないという投稿から始まり、共感や批判の声が相次いだそう
批判的なコメントには、不潔だとか、風呂は毎日入るべきだという主張もありましたが、話題は発展していき、、、
『深刻な理由で入れない人もいる為、茶化すのはやめてほしい』という問題まで__
深刻な理由で風呂に入れない人も
うつ病などのメンタルヘルスの問題で入浴が難しい人々もおり、彼らからは「入りたくても入れない」という困惑の声が上がったようです
「風呂キャンセル界隈」という言葉が、うつ病を抱える人々と一般の風呂嫌いを混同されてしまったことに不快感を覚えているという人が多いようですね
この議論の中で、うつ病経験者からは、メンタルの病気によって日常生活がままならなくなることや、入浴が困難であることを訴える声が相次いでいました
そういえば筆者の社畜時代、
「帰ったら風呂か・・・」
と思うと精神がおかしくなり
そのまま車で寝てしまうことが何度もありました
ある調査によれば、多くの人がお風呂に入ることが困難だと感じていることが示されており、うつ病の症状として一般的だという
専門家によれば、うつ病では意欲が低下し、入浴などの日常生活の行動が困難になることがあり、これが「風呂キャンセル界隈」の一因であると指摘されている
ただし、入浴が面倒だからといって必ずしもうつ病とは限らず、ただの疲れやストレスの可能性もある
入浴ができない状況が続く場合は、専門家の診断を受けることが望ましいといわれているようです
インターネット上の反応・意見は?
これすっごいわかるなぁ・・・
- うつ病の人はセルフケアが困難であり、お風呂に入ることなど日常の行動が負担になることがある。←単純に面倒で不衛生な人と同等に見ないでほしい
- エネルギーが限られているため(仕事等で疲弊し切っているため)、セルフケアに必要な行動を実行することが難しい場合がある。
- セルフケアの代替策として、ドライシャンプーや清潔を保つための簡易的な方法を模索することが重要である。
- 家族や医療者は、当事者の立場や状況を理解し、温かいサポートを提供する必要がある。
- 精神的な負担がある場合も、同様の困難が生じる可能性がある。
- 個々の状況や負担に応じて、セルフケアの方法や頻度を調整することが必要である。
- うつ病や精神疾患についての理解を深めることで、当事者の支援やケアにつながる。
- セルフケアが難しい時期には、他者のサポートや理解が不可欠である。
- 日常生活におけるセルフケアの負担を軽減する方法を見つけることが重要である。
- セルフケアの負担を理解し、適切なサポートを提供することで、当事者の心身の健康を促進できる。
「精神的な影響で風呂に入りたくても入れない」は私も経験があります
「甘え」と一蹴せずに、思いやりのある声かえをしたいですね
まとめ
この議論は、風呂嫌いや入浴が困難な人々が直面する問題を浮き彫りにしたように思えます
一般的な考え方や行動に疑問を呈することで、メンタルヘルスの問題に対する理解を深める契機となりました
しかし、単純化された議論ではなく、個々の事情や背景を理解することが重要
うつ病や他のメンタルヘルスの問題は、単なる「甘え」や「面倒くさがり」として片付けられるべきではありません
『そんなんじゃどこに行っても通用しないぞ!!』
とか宣う輩がいたら、
「お前にはそう思われてもいい!」と蹴りを入れてやりましょう(冗談です)
心の健康は一番大切です
もし『お風呂は好きなのに、入るのが辛い』等
普段とは違う感情に気づけたのなら、注意した方がいいかも知れませんね
この議論を通じて、より多くの人々が互いの立場や苦境に理解を示し、支え合える社会を築くための一歩となることを願っています